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Picture of a musician: 植松伸夫
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植松伸夫

植松伸夫(1959年3月21日-)是日本电子游戏作曲家,他為最终幻想系列而譜寫音樂作品而知名。植松是一名半自学音乐家,在十一二岁时开始弹钢琴,而艾尔顿·约翰是影响他最大的人。

植松在1986年加入史克威尔(后史克威尔艾尼克斯),并遇到了最终幻想创作者坂口博信。他们一起合作创作了许多电子游戏,其中最为知名的是最终幻想系列。在就职约20年后的2004年,他离开史克威尔艾尼克斯,建立了自己的公司Smile Please和音乐制作公司Dog Ear Records。他开始以自由音乐作曲人身份,主要为史克威尔艾尼克斯和坂口的开发工作室雾行者的电子游戏作曲。

植松的游戏配乐还有原声和改编专辑发行。他创作的一些游戏曲目还在最终幻想音乐会上演出。他的乐曲数次由格莱美奖得主,指挥家阿尼·罗斯在音乐会上指挥。在2002年至2010年间,他和福井健一郎、关户刚等同事组成了摇滚乐团黑魔导士,以电子管风琴等键盘乐器演奏音乐。乐队以改编摇滚版演绎了植松伸夫的最终幻想配乐作品。他还参与了乐队Earthbound Papas。

植松伸夫出生于日本高知县高知市。他是一名半自学的音乐家,在十一二岁时开始弹钢琴,且未受过任何正式钢琴教育。他有一个姐姐也弹钢琴。在神奈川大学主修英语毕业后,植松在几个业余乐队担任键盘手,并为电视广告作曲。在植松于东京一家音乐出租店工作时,一位史克威尔雇员问他是否有兴趣为他们的一些作品创作音乐。尽管植松答应了,却将其当成一份兼职,他也没有想到这将会成为他的全职工作。他称,这是当兼职赚一些钱的方法,并继续他在音乐租赁店的兼职工作。

植松为史克威尔配乐的首个游戏是1986年的《Cruise Chaser Blassty》。在史克威尔工作期间,他遇到坂口博信,坂口问植松是否愿意为他的一些游戏创作音乐,植松答应了。在1986和1987年,他为包括成人游戏《Alpha》等数部游戏作曲,但这些游戏都没取得什么成就。1987年,植松和坂口合作创作了获得巨大成功的《最终幻想》,而坂口原以为这是他在史克威尔的最后一部作品。

Picture of a musician: 菅野よう子
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菅野よう子

菅野 よう子(かんの ようこ、Yoko Kanno、1963年3月18日 - )は、宮城県仙台市出身の日本の作曲家、編曲家、演奏家、音楽プロデューサー。主にアニメ、ゲーム、CM、ドラマ、映画の音楽を手掛けている。グランドファンク(音楽事務所)、FlyingDog(音楽レーベル)所属。本名は菅野 洋子(読みは同じ)。チェリストの溝口肇は元夫にあたる。

即興ピアニスト・作曲家の菅野洋子とは同姓同名であるうえ宮城県出身、早稲田大学出身という経歴も似ているが別人である。

音楽との出会いは2歳の頃、親戚の家にあったピアノの前から離れない娘を見て、親がピアノを買ってくれた。幼い頃から言葉で話すよりも音で表現するほうが楽だったといい、頭に浮かぶことをメロディにして遊んでいた。小学校時代は数々のコンクールで優勝し、1974年にヤマハ・ジュニア・オリジナル・コンサート(JOC)全国大会で川上賞を受賞する。ヤマハ・ジュニア・オリジナル・コンサートの作曲コンクールの審査員をしていた芥川也寸志からアドバイスをもらう。また、知遇を得て芥川也寸志、安川加寿子にごく短い一時期作曲、ピアノを師事。ただし、音楽理論については先生について学んだというよりは、ほぼスタジオ現場で独学で身に付けた。

中学校から仙台向山高校にかけては吹奏楽部に所属し、いろいろな楽器の編曲を楽しむ。当時は文学少女で、小説家になろうと早稲田大学第一文学部に進学するが、入部した軽音楽サークルのOBの伝手で音楽業界の仕事に関わり始める。

1985年に光栄(現コーエーテクモゲームス)の歴史シミュレーションゲーム『三國志』の音楽を手がけて作曲家デビュー。以後、光栄のゲームでは「信長の野望シリーズ」や「大航海時代シリーズ」なども担当する。1986年にはバンド「てつ100%」のキーボード奏者としてレコードデビューし、同時期にはアルバイトでおニャン子クラブのバックバンドにも参加した。バンド解散後は演奏家としてレコーディングやライブに参加し、作曲家として今井美樹、小泉今日子、SMAPなどの歌手への楽曲提供・プロデュースを行う。

Picture of a musician: 川井憲次
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川井憲次

川井 憲次(かわい けんじ、Kenji Kawai、1957年4月23日 - )は、日本の作曲家、編曲家。東海大学工学部原子力工学科中退、尚美音楽院中退。本人が自分のことを「かーい」と表すため「かーいさん」と呼ばれている。インストゥルメンタルバンドであるfox capture planのカワイヒデヒロは甥。

サントラ界の大御所として知られており、アニメ、ドラマ、映画、ゲーム等、幅広いメディアミックス作品で活動している。川井によれば、その作品のヴィジュアルから音を引き出していくため、何も無い状態から音楽を作ることは苦手と述べている。アニメでは映像ができていない場合が大半である為、絵コンテのビジュアルから音楽を作るという。感覚的な音楽作りを得意とし、映画『クロユリ団地』の楽曲制作時間は1曲4、5分という速度だったという。

映画はそれほど観ないが、北野武の映画は全作観ており、「男はつらいよ」は全シリーズ好きだと語る。

父の影響で幼少時から音楽を聴いており、小学生時にはフォークを中心に、中学生時には洋物ポップスばかりを聴いていた。高校生時には初購入したエレキギターがきっかけでバンドを作ったが、そのせいで浪人する。この頃、バート・バカラック、森山良子、ディープ・パープル、サンタナなどを聞いていた。

大学生時には音楽クラブに入ったせいで中退し、親の手前で音楽の専門学校に入ったが、こちらも半年ぐらいで退学する。しかし、その頃から作曲の仕事が入るようになったうえ、ある歌手のバックバンドのリハーサルコンテストの張り紙を見て本物の大学生との混成バンドを結成し、応募する。バンドは優勝したがお金になる仕事には恵まれず、結局は川井だけがギタリストとして活動することになり、自然消滅する。その頃から自宅録音に興味を覚え、舞台やCM音楽などを手がけ、劇伴作曲家としての活動を開始する。自宅スタジオには当時、矢沢透などが年中訪れていたという。